国立大学法人 筑波技術大学保健科学部附属東西医学統合医療センター

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鍼灸とは

歴史

鍼灸の発祥

鍼灸は今ある歴史的な資料からみると、紀元前の戦国(BC403~BC221)から漢初の時期に現在中国と呼ばれている地域で実際に行われ、ある程度理論化されていたと考えられています。体の表面と内臓の関係をまとめた「経絡経穴(けいらくけいけつ)」をはじめとして、体の機能や病気の成り立ちについての考え方、独特の診断や治療技術などの伝統的な鍼灸の基本は、後漢(25~220)の時代には学術的なものに体系化されていました。この時代の代表的な医学書としては『素問(そもん)』、『霊枢(れいすう)』、『明堂孔穴治要』、『難経(なんぎょう)』がよく知られており、現在でも古典として尊重されています。 その学術は古代中国の自然哲学の「陰陽」、「虚実」、「気・血・水」、「五行」などの考え方で整理されているため、現代医学の理論とは異なったものです。

東アジアにおける鍼灸の拡がり

中国地域で鍼の技術が発展する一方で、この医療技術は東アジア地域全般に拡がりました。朝鮮半島、日本列島、ベトナムなどの社会に根付き、それぞれの地域で独自に発展をしました。
日本に鍼灸の技術が伝わったことは6世紀頃から記録が残っています。奈良時代(710~784)には高僧 鑑真が医学教育に携わったことが有名です。丹波康頼が984年に円融天皇に献上した『医心方(いしんぽう)』には隋・唐代の代表的な医学書百数十編を引用しており、この頃までに重要な医学書の多くが日本に伝わってきていたことがわかります。

江戸時代に日本独自の発展

日本で鍼灸が広く普及し独自の発展をしたのは江戸時代に入ってからです。代表的な発展としては「打鍼術」、「管鍼術」の技術がよく知られており、特に管鍼術は細く柔らかい鍼を容易く刺入することを可能にする技術として現代においても広く用いられ、日本式の鍼治療として知られています。この「管鍼術」は全盲の鍼灸師 杉山和一による考案といわれます。細い鍼で痛みを生じないように治療する日本式の鍼灸術の特徴をもたらした技術革新でした。また江戸時代には、文献考証や古医書の校訂出版事業が行われ、古典的な医学書の文献学的な業績が多数挙げられた事も知られています。

世界的な拡がり

西洋社会に鍼灸が伝わったのは17世紀に遡り、日本の出島から詳細な情報が伝えられました。実際に鍼灸が西洋で使用されるようになったのは18~19世紀初頭の事で、痛風や腰痛などの効果的な治療として普及しました。しかし、近代医学の発達とともに鍼灸は一時的に忘れられてしまいまいた。
西洋社会で鍼灸が再発見されたのは1970年頃からのことで、鍼に鎮痛作用があることが医学的な関心を呼び研究が進み、先進国で普及し現在では補完代替医療の有力な治療法として定着しようとしています。また一方で、低開発国で容易にもちいることが出来る効果的な医療技術としてWHOの注目を浴び、世界的に普及することになりました。

その技術

現代では様々な鍼灸の技術が実践されています

東アジアの一地域に発祥した鍼灸ですが、各地に拡がり発展を遂げた結果、現代世界中で実践されている鍼治療の方式には多彩なものがあります。

現代日本で行われている鍼治療の色々

1. 治療の理論からみると

古典的な医学文書に基づく伝統的治療法から現代医学に基礎を置く治療法まで幅があり、また伝統的治療法にも様々な流派があるため、その理論も様々です。

2. 診察の方法からみると

問診や現代医学的な診察法の他に、東洋医学的な診察(脈診、腹診、舌診など)が行われる場合もありますが、流派によって何に重きを置くかは異なります。また、皮膚の電気特性の測定などを行う派もあります。

3. 治療の具体的方法からみると

鍼を刺入する深さは皮膚に針先を接触させるだけのものから皮膚・皮下・脂肪組織を貫き筋膜を通過させるものまであります。
刺激方法は刺してすぐに抜くものから、刺入した鍼をその場にしばらく留置しておいたり、電気刺激を10~30分間行うものまで色々あります。およそ直径0.16~0.3 mm、長さ30~80mmの範囲の様々なサイズの鍼が使用されています。

当センターにおける鍼灸の技術

経験豊富な臨床系の教員が外来を担当しています。それぞれの経験と理論的背景に応じて治療方針を選択しています。主に伝統的なアプローチをとる教員、主に現代医学に基礎を置く教員、両方のアプローチを適宜組み合わせる教員がいます。

治療対象/その効果と安全性

鍼灸の治療対象

日本の鍼灸では腰痛、肩こり、膝関節疾患、下肢痛、頚腕症候群などの筋骨格系の症状が対象となることが多いようですが、その他にも頭痛、不眠、疲労倦怠感、便秘、冷えのぼせ、月経不順、月経痛などの症状もしばしば治療の対象とされています。
英国で西洋医学系鍼治療家が対象としているのは、筋骨格系、疼痛一般、神経系、アレルギー、依存症、耳鼻咽喉科系、呼吸器系、婦人科系の症状などで、中国医学スタイルの鍼治療家が治療しているのは、筋骨格系(疼痛・こり・外傷)、情緒・心理系、関節炎(リウマチ性・変形性)、耳鼻咽喉科系、活力の低下、消化器系、腰背部痛、頭痛、産婦人科、皮膚症状、心血管症状(脳卒中後遺症を含む)、呼吸器系症状、神経学的症状(ヘルペス神経痛を含む)、禁煙などです 。
鍼が何に対して効果的なのかということについては共通の見解は出来上がっていませんが、筋骨格系の問題を中心に、西洋医学的治療で満足のゆかない慢性健康障害が鍼治療の対象となっているのが、先進国における鍼利用のパターンのようです。

鍼灸の臨床的な効果についての科学的な研究

現代の科学的な規準では、ある治療に効果があるというためには、臨床試験、中でもランダム化比較試験(RCT)によって証明される必要があるといわれています。近年、欧米を中心として鍼灸がどの様な疾患・症状に効果があるのかをRCTによって確かめようという試みが、下の図に示すように増加してきました。

効果をある程度確実なものとして評価するためには、いくつかの臨床試験の結果をまとめて評価するシステマティック・レビューという方法がもちいられます。この方法をもちいた結果、腰痛、頭痛、変形性膝関節症、嘔気その他いくつかの症状に鍼が有効であることが示唆されています。

公的機関の関与した鍼灸レポート

欧米で鍼灸が一般的に使いられるようになってきたことから、公的な機関が鍼灸の効果の科学的評価に関与し、いくつかの報告が行われました。これらの報告では主に臨床試験の結果を基にしてまとめられています。

米国国立衛生研究所の合意形成パネル(1997)

米国では、1997年に国立衛生研究所(NIH)が召集した鍼に関するパネル会議が開かれ、「成人の術後および化学療法による嘔気・嘔吐、および歯科の術後痛には有効である。また薬物中毒、脳卒中後のリハビリテーション、頭痛、月経痛、テニス肘、線維筋痛症、筋筋膜痛、変形性関節症、腰痛、手根管症候群、喘息などに対しては補助療法として有用か、包括的患者管理計画に含めることができる可能性がある。」という合意声明が発表されました。

英国医学会の報告書(2000)

英国では、2000年に英国医学会(BMA)が鍼治療に関する報告書を出版し、「背腰痛、嘔気・嘔吐、片頭痛、および歯痛において、対照群(無治療や他の治療)よりも鍼治療に効果があることを示唆する証拠がある」と結論しています。

WHO伝統医学部門の報告書(2002)

2002年、WHOのEssential Drugs and Medicines Policy(EDM)伝統医学部門から、鍼灸に関する報告書が発行されました。「臨床試験によって有効性が証明された」という疾患・症状がリストアップしてありますが、有効とされた臨床試験論文のみを強調している傾向があり、公平な評価といえるかについては異論があります。

効果についての評価のまとめ

下の表に、現在における評価の結果をまとめてあります。研究の数や質がまだ充分でないために、有望とされているものが少なく、どちらとも言えないものが多いのですが、今後様々な症状について研究が進むと、鍼灸の効果についてははっきりとした答えが得られるでしょう。

WHOのレポート(2002)に「臨床試験によって鍼が有効とされた」と記載されている疾患・症状
(鍼灸に非常に好意的なレポート)
公式の声明やシステマティック・レビューによって鍼が有効、有益、あるいは有望である可能性が示唆されたことのある疾患・症状
(確定的でないものも多い)
放射線治療・化学療法による副作用
アレルギー性鼻炎(花粉症を含む)
胆石疝痛
うつ症状(抑うつ神経症および脳卒中後のうつ症状を含む)
細菌性赤痢
原発性月経困難症
急性心窩部痛(消化性潰瘍、急性・慢性胃炎、いわゆる胃痙攣の場合)
顔面部痛(頭蓋・下顎の障害を含む)
頭痛
本態性高血圧症
一次性低血圧症
陣痛誘発
膝痛
白血球減少
腰痛
胎位異常
つわり
嘔気・嘔吐
頚部痛
歯科系の疼痛(歯痛および顎関節症を含む
肩関節周囲炎
手術後の疼痛
腎疝痛
関節リウマチ
坐骨神経痛
捻挫
脳血管障害
テニス肘
特発性頭痛、反復性頭痛
腰痛
手術後の嘔気・嘔吐(予防も)
機能性月経困難症
不眠
手術後の疼痛
脳卒中後の能力障害
顎関節症
終末期の慢性閉塞性肺疾患
急性の歯痛
陣痛
高齢者の持続性の筋骨格系疼痛
上腕骨外側上顆炎
手根管症候群
腱板炎
不妊(女性)
線維筋痛症
変形性膝関節症、膝蓋大腿関節の疼痛
肩峰下(インピンジメント)痛

鍼の安全性

鍼灸治療はしばしば「副作用がない」と宣伝されてきましたが、まったくないわけではありません。当センターでは、一定期間に行われた鍼灸治療で起こった有害事象をすべて記録するという徹底的な調査研究を実施し、その結果、次のような副作用があることがわかりました。

鍼灸の副作用

(1)全身性の副作用
疲労感・倦怠感(鍼受療患者の8.2%)、眠気(2.8%)、主訴の一時的悪化(2.8%)、刺鍼部の掻痒感(1.0%)、めまい・ふらつき(0.8%)、気分不良・嘔気(0.8%)、頭痛(0.5%)など。

(2)局所性の有害反応
微量の出血(総刺鍼数の2.6%)、刺鍼時痛(0.7%)、皮下出血(0.3%)、施術後の刺鍼部痛(0.1%)皮下血腫(0.1%)など。このほかにも、稀にですが、金属アレルギーなどが報告されています。

総じて鍼灸の副作用は軽症で一過性といってよいでしょう。

鍼灸の過誤

一方、気胸、感染、脊髄損傷など重篤な過誤が報告されている文献もありますが、これらは鍼が行われている全体数からするとごく稀だと思われます。

安全な鍼灸のために

重要なことは、鍼灸という方法自体が持っている副作用のリスクは低いのですが、鍼灸を行う施術者の知識や技術によって過誤のリスクは大きくも小さくもなるということです。この意味から、鍼灸師の医学的教育、技術修練、卒後の継続教育は今後さらに向上させるべきです。
また素人による自己刺鍼による事故(脊髄損傷など)が国内では海外よりも多く報告されていますので、鍼は適切な知識・技術を持った人が扱う必要があります。
灸はセルフケアとしての意義もありますが、どこへどのようにすえるかについては、やはり専門家の指導が必要です。大きな火傷を作ってしまうと皮膚癌や化膿の引き金になりかねないからです。